6/15

6/15(日)
今日は子どもと3人、天気もいいし出かけてみることに。
今までの私なら子連れで電車に乗って出かけるなんてとてもじゃないが考えられなかった。子どもは言うことを聞かない、そして言うことを聞かせる術を私は知らない。怒鳴ったり、見放すくらいしか。どっちもやりたくない。自分がイライラするのが目に見えている。
でも子どもも随分大きくなったし、これまで先生に言われたことを思い出せるなら、なんとなく出来るかもしれないと思った。また、出かけて忙しくすることで、好きな人のことを考えて落ち込んだりしなくて済むとも思った。
先生からは、依存症と恋愛の区別がつかなくなっている状態をなんとかしたいから、連絡を断つことで冷静になって欲しいと言われている。昨日、好きな人そっくりな人を見かけて、幻覚かと思った。


ーーーーー残酷な言い方しますけど、アルコール中毒の禁断症状のようなものです。我慢しようとすればするほどアルコールが欲しくなるでしょう。アルコールの代わりになるような何かが必要なのです。辛いのはわかるのですが、なんとか他に目を向けて意識をそらすことはできないでしょうか?
簡単に言うと依存症なんですよ。対象はなんでも原理は同じです。それがないと生きていけない。それしか人生の喜びがない。そうなった時にそれに依存していくわけで。どこかで断たなければならないんです。
でもただ「やめよう」ではよけいに欲しくなるだけで、なぜ自分がそれに溺れてしまうのか。それで何を誤摩化しているのかということを、ちゃんと考えて根本を断たないといけないんです。


子どもに意識を向けることが出来れば一番いいことも分かっている。そしてそうすることが辛く感じ、自分には難しいことも分かっている。本当にどこへ意識を向ければいいのかが分からない。


ーーーーー自分に向けてください。また言いますけど、あなたは全く自分を愛していません。可愛いとも思っていません。子どもはあなたの分身なんですよ。あなたが自分が可愛くないと思っているから子どもも可愛く感じないんです。
普通の親はまず自分大好きです。だから分身の子どもが可愛くて仕方ない。健全に育った人はそうです。
あなたが目をそらしているのはそこなんです。自分が可愛くないのが辛いんです。それでよそに目が行く。そう思ってみてください。
自分のためになにかしようとしますか?たいがい誰かの役に立ちたいとかじゃないですか?
逆にいうと必要とされなければ全く無価値だと考えてますよね。そこがとても問題なんですよ。

ーーーーー他人から許可をもらって初めて自分がいて良くなる。だからあなたはそれをくれる人がいないと存在してないんです。それに耐えられない。
一人で立つということは一人で居ても、許可をもらわなくても、自分に価値があると思えることです。与えてもらうのではなく、自分が自分に丸をつけて生きているということです。


最近、自分の写真の良さも分からなくなってきていたのだ。自分に唯一自信のあるもの、それが写真だった。それさえも見失いつつあった。自分が分からなくなるにつれて、自分の写真の良さも分からなくなっていた。


ーーーーーあなたの良さはあなたが知ってます。あなたがとても好きな写真をあなたが撮るからでしょう?それが出来ていればたとえそれがどんな評価をされても、あなたにはベストな写真ですよね?これが自立です。
人に評価されることを自分の価値にしてしまっていますからね。それが写真なら、あなたは自分の写真を全く信じていないので、コンテストや偉い人の評価が良ければいい写真だ!と思い、ダメ出しされればダメなんだ!と思うようなもんです。評価が低くてもいいものはいい!そうこっそり思ってることが自信です。自分に対してそれはないでしょう?
写真の例えで言うなら、あなたは目の前の人が喜ぶ写真だけに価値があるんだと言ってるわけです。こっちの人がこういうならこれ、あっちの人がああいうならあれ。
目の前の人に気に入られるのがいい写真であり、それを撮れた時にだけ自分には写真家の価値があるんだ。そう言ってるようなもんです。


電車に乗って出かけ、私の行きたいところへ子どもたちに付き合ってもらった。途中子どもたちが喧嘩をし始めたりイライラすることもあったが、大きなトラブルもなく帰ってこれた。何より子どもたちが楽しそうで嬉しくもあった。丸一日付き合ってもらったので、最後に近所のユニクロで服を買ってやることにした。
「何でもいいから自分で選んでいいよ」と初めて言ってみた。自分のこだわりが強すぎるせいか、私が気に入らない服を子どもが選ぶのを否定したり、私が着せたい服を気に入るように誘導したりしていた。良くないと思いつつ、子どもの気持ちを無視していた。
これでは子どもの意思は作られないし、言いたいことが言えなくなるのではないかと思った。自分が親に何も言えなくなったようにだけはなってほしくない。そこだけは絶対に避けたい。子どもの時に、誰にも言えずに悩みを抱え込む辛さを私は知っている。せめて私は子どもの味方で居たいのだ。


ーーーーー子どもが喜ぶ服は買ってあげてください。それが自分を持ちつつ他人の趣味を尊重するということです。これは妥協ではありません。私は趣味じゃない、好きじゃない。でも子どもはとても喜ぶ、それなら買ってあげよう。これが自信のある人の態度です。


自信を持つこと、すなわち自分を好きになること。簡単そうで難しい。でも、今なら出来そうな気がする。
[PR]
by hatarake-ecd | 2014-06-20 11:36
<< 6/16 6/14 >>