5/18~5/27

5/18(日)
9時起床。今日は石田さんが仕事休み。目が覚めてこの状況に既に苛々してしまう。今日こそ言おう、と心に決め、スーパーに行くという3人に私も着いて行くことにする。こうして4人で歩くことも本当に滅多になくなった。出来れば一緒に歩きたくないと思ってしまう。マンションを出てすぐに石田さんに話しかけた。
「もうご存知だとは思うのですが、心療内科に通っていましてですね」
「え?そうなの?」と返された。てっきり最近更新した日記を読んだものだと思っていた。
「単刀直入に言いますと、やっぱり離婚がしたいです。とにかく籍を抜きたいです」離婚を申し込んだのはこれで3回目だと思う。
去年の夏頃、私に好きな人が出来たと伝えた時と、年末、とにかく精神的に一人になりたいから別居しないにしろ籍だけ抜かせてほしいと言った時ぶりだ。
二人の子どもが存在していることはとにかく大きい。それを第一に考えると、ここで離婚してどちらかが子どもを引き取るというのは想像出来ない。しかし、石田さんと夫婦でいるということにはどうしても耐えられなくなっていた。もちろん嫌いになったわけでもないしとても尊敬している。しかし、夫婦という形で周囲から見られるには、もう自分にとっては苦痛で限界を感じるのだった。
「籍を抜いたって一緒に住むなら意味ないよ」と前回と同じ解答をする。しかしもう私は言いながら涙が止まらず、とにかく分かってほしい一心で、スーパーまでの道、泣きながら思いの丈をぶつけたのだった。
「好きな人とどうこうなろうとも思っていない。とにかく虚構の家族像に疲れた。一人の人間としてやり直したい。理想の家族像に近づけなかった」
「理想の家族像なんか最初から持たなければいいのに」
確かにそう思う。理想の家族像。私の理想の家族像はなんだったんだろう。こんなにも苦しめられていたもの。結婚したら好きな人は出来てはいけない、出来ないものだと思っていた。そして、夫婦はいつまでも仲良く、何でも話し合える仲。自分の親を見て、こうはなりたくないなと思っていた。母からは結婚なんてしなくていいと言われていた。とにかく自分の力で食べていけるように手に職をつけなさい。それは祖母とうまくいかなかった母からの教訓だった。幼いながら、この夫婦が離婚しないのは不思議だなと思っていた。そして、離婚したらどうしよう、私はどうなってしまうだろう、とも恐れていた。一番なりたくない、自分の親のような状態に、今なっている。だったら私は自由になって自分を取り戻したい。自分を取り戻すことで、石田さんとも子どもたちともやっと対等に向き合えるのではないかと思った。言いながら涙が止まらなかった。

自分が言ったことを否定されるかもしれない恐怖、これはいつか味わったことがある。小学生の頃、自分でやりたいと言い出した進研ゼミ、絶対頑張るから、絶対やるから、と言って物凄い情熱と説得力を持って始めさせてもらったそれは、あっという間に飽きがきた。母は勿体ないからやれやれとうるさく言う。私は引っ込みがつかず、いつもやっているふりをしていた。やらなければいけないという責任感にいつも急き立てられていた。今日こそやめたいとお母さんに言おう、言おう、とそんな状態を3年続け、やっと言い出せた時の気持ち、それに近かった。私は泣きながら謝って辞めたいと伝えたのだった。母の反応は覚えていない、とにかく母を裏切ったという強い罪悪感だけを未だに覚えている。そんな調子で、父のすすめで3歳から始めたピアノも、やめたいと思いつつも絶対に言い出せず、結局ダラダラと中3まで続けたのだった。自分にとって強制的にやらされるピアノ教室は本当に苦痛だった。

「籍を抜いてるのに一緒に住んでるってことでまた苦しくなるんじゃないの」と石田さんに聞かれた。暗い顔をしている。それはやってみないと分からない。私も石田さんも少し変わった家庭環境で育ったにしろ、親が両方揃っていたというのはやはり大きいことだと感じていたからだ。
「とにかく籍を抜くことで楽になる気がするんだ」と念を押すと「分かったよ。離婚届は書くけど、お守り的に持ってれば?」と承諾してくれた。
やはり石田さんは私を認めてくれた。こんなこと、一般からすると許されることではないだろう。分かっている。それでも、石田さんはいつも私の言うことを大事にしてくれる。
私が好きな人がいることを石田さんに伝えた時も「別れろとは言わないけど離婚は出来ない」と言われた。それを話した人には「石田さんは一子ちゃんが何も失わないようにしてくれてるね」と言われた。本当にその通りなんだろう。私は石田さんと子どもたちを大事にするという意味でも、やはり籍を抜きたいと思う。これを石田さん自身は理解出来ないと言うが、それでも離婚を承諾してくれた。お守りのように持っていなさい、それは心療内科の先生に抗不安薬を処方してもらった時にも言ってもらったことだ。お守りがまた手に入ったのだ。さてどうするだろうか。6月4日の6回目の結婚記念日に、離婚届を出すのが一番キリがいいと思っているが、それまでの逡巡に耐えられるのか。突発的に提出してしまいそうな気がする。ずっと前にもらっていた離婚届を見てみると、証人が二人いることになっている。さてこれは誰に書いてもらおう。気持ちが軽くなり、少しワクワクしている。新しい私の家族の形をここから作っていこうと思う。



5/19(月)
午前中、天然スタジオで岩手からのお客様。3人家族。奥さんは私のブログを妊娠中に見て知ってくれたのだそう。旦那さんの方は石田さんの昔からのファンという。とっても良い家族。愛されているお子さん。見当違いかもしれないけれど、こういう人達を、離婚することで私は裏切ることになるんだろうか?結婚していることで裏切り続けている気がしていた。心に波があるけれど、写真は今日もいつも通りに撮れた。撮影が楽しかったと言ってくれるのがとても嬉しい。写真もいいものが撮れていると思う。

午後、学校があるので渋谷へ。授業まで時間があったので図書室へ行くと、斉藤先生がたまたま来ていた。斉藤先生は私と同い年で、同級生。彼は卒業してからそのまま学校の職員になって勤めたけれど、去年実家に戻り、一年間は地元で撮影の仕事をして、今年の春から講師として戻ってきた。付き合いが長いので気心がしれている。私が最近調子が悪いことや、離婚したいと思っていることを話していたので「やっと離婚出来そう」と伝えると、驚いていた。
「一子は昔から本当に感情を手当り次第にガブガブ食べて写真にしていく感じだね」ここ一年間程は自分に違和感があったので、日記を書けないでいたけれど、また書けそうな気がする。さらけ出しすぎて仕事が減るかなぁと聞くと「でも、仕事は仕事で影響なくちゃんと出来てるからすごいよね」と言われた。それも分かる。作品と仕事は切り替えているつもりだ。それがいいのか悪いのかは分からないけれど。こうして内面をさらけ出すことで引く人もいるだろう。私という人間として仕事を頼んでくれていた人にとっては、離婚というのは大きいことでもあるかもしれない。もうそこは私は関与することが出来ない。そして書かないという選択ももうない。書くこと、撮ることで生かされている自分がいる。
ふと上田義彦の「FLOWERS」という写真集を手に取った。昔からとても好きな写真なのだ。花を白バックの自然光で大判カメラで撮っているもの。クレジットを見ると96年頃の写真だった。もう20年も前のものなのに全く色褪せない。良いものはこうして残っていくんだなと衝撃を受けた。私の今撮っている写真も、20年後には残るのだろうか。そしてそれを見た時自分はどう思うんだろうか。花はいいよね、最近花が撮りたいもん、と斉藤先生に言うと「花は写真家が死ぬ直前に向うモチーフだ!お前やばいな」と笑われた。
今日の授業では生徒一人ずつ、好きな写真についてプレゼンしてもらった。最近の写真家の人から大昔の人から、いろんな写真を見た。私自身は写真家に全く詳しくないので、こうして写真家を知ったり初めて見る写真も多い。生徒から教わることはとても大きい。
授業が終わって自転車で保育園に向う途中、ふと思った。自分の見た風景を写真を通して人に見せたいときがある。写真は撮っておかないと残らない。今のこの波立つ気持ちも書き残しておかないときっと忘れてしまう。そしてそれを人に伝えたいと思う。私は私のことを人に知ってほしい。ただそれだけなのかもしれない。結婚したら何か自分が変われると思っていた。子どもを産めば何か変わると思っていた。でも自分の根底にあるものは全く変わらず、結局それに突き動かされて生きている、写真を撮っている。
それは何なんだろう。変わりたいと思っていたけれど、変わらなくていいところもあるのかもしれない。無くしてはいけない大事なものがある。それに苦しめられ、それに生かされている。



5/20(火)
午前中、家の片付け。久しぶりに掃除機をかけた気がする。先週から今週にかけて忙しく、片付けはほとんど出来なかった。掃除ついでにホットカーペットを撤去。畳も水拭き。保育園から持って帰ってきたり、家で書く無数の作品達。あまりにかさばるので、これまでは問答無用に捨てていて、それを見つけた子どもに「すてないで!」と怒られたこともあったが、良く書けているものなんかはちゃんと取っておこうと思った。それ用に場所も作ろう。おもちゃなんかも増え続けるので勝手に処分している。これも本人に確認したほうがいいのだろうなとも思う。子どもの意思を優先させること、大事だとは思いつつ私本位になってしまう。時間に余裕があったので、色鉛筆も全部削っておいた。ここまできれいに出来てやっとホッとする。衣替えはまだ出来ていない。
片付け中に、届いていた写真新世紀の今年の冊子を開けた。忙しくて見る暇がなかったのだ。授業で使えるかなと思い電車で眺める。去年の最優秀賞の鈴木育郎さんという方のコメントが素晴らしく、胸が熱くなる。「矛盾を抱えながらも怒りに振り回されず、自分の感覚を研ぎ澄ませて、守るべきものを守り、悔いのないように生きる。写真はさらにそれを後押しし、その過程を記録する、そして私の人生が前に行く。その日常はたくましくも危うい出会いと別れの繰り返し。いつかの風は今は私が起こす風、キミの瞳に映る私の姿、時は決して止まることはなく、すべての写真は幻、出会うその時まで。(抜粋)」変わらないものを求めていたけれど、変わることは悪いことではないのかもしれない、とやっと今思えるようになってきたのだ。

明日は上の娘の遠足がある。保育園の帰りに3人でスーパーに寄る。野菜をブロッコリーとプチトマトにすることにした。夕飯用の野菜炒めのもやしも買う。少し遠い売り場から、娘達に「もやし取って来て」と言うと、迷いながらも走って持って来れる様になった。スーパーを出て止めていた自転車の隣に他の自転車が横付けされていたので、先に自転車を出そうとすると、上の娘が自転車に乗ってこようとする。「ちょっと待って、出すから」と言っても聞かない。ついカッとなって手で乗ろうとしている手を払いのけてしまった。上の娘は傷ついた様子で大泣き。私は頭に来ているので冷静になれず、一刻も早くその場を去ろうと歩き出した。すると下の娘が「あやまりなさい!」と私につっかかって来る。もう二人とも面倒くさい、と思い余計苛々する。周囲の人が見ている。それでも少し離れた場所で待っていると泣きながら近づいてきて「おかあさんのばか!」と怒鳴って静かに自転車に乗るのだった。乗って機嫌が直ってくると、私は今度は自己嫌悪に陥る。全く、うまくいかない。

家に着いて夕飯の用意をしていると、急にお風呂から異音がし、水が一切出なくなった。台所もトイレも水は出ずうんともすんとも言わない。不動産会社に電話するが、直るのにどれくらいかかるか分からないという。仕方なく夜は銭湯に行くことにした。銭湯に行くとなると子どもたちはとても喜ぶ。つい最近3人で銭湯に行き始めたばかりで、気分が滅入った時に初めて銭湯へ行ってみた。それからは気分転換するために行くようにしているのだ。今回で3回目。しかし今日は時間も時間だったのか、とても混んでいた。またここでも周りの目が気になる。子どもたちはうちだけで、嬉しいのか二人でおおはしゃぎしている。それを他の人に疎ましがられているような気がしてしまう。はしゃいで嬉しそうなところにドキドキしてしまい「あんまり大きい声出さないよ」と水をさす。気にし過ぎだろうか、どこへ行っても子どもといて安心できるところがない。そこそこに銭湯を後にした。家に帰って子どもたちを寝かしつける時、ふと爪をみると、二人とも伸びに伸びている。子どもたちの爪なんて久しぶりに見たんだな、とすぐに切ってやった。

21時頃石田さんが帰宅。また不動産屋が訪ねてきて「ポンプが壊れているようなので、2、3日修理にかかると思います。」と平謝りして帰って行った。トイレが流れないのが一番困るが、明日のお弁当はどうしても作らなければいけない。洗ったり茹でたりする予定だった野菜と、包丁と鍋をバックに入れ、下北の事務所でやることにした。
この断水、明日からどうすればいいのだろうか。石田さんは明日ちょうど休みなので、公園から水を持って来ようかなと言っている。こんな時に水が止まって。こんなことで家族の団結を深めたくない。下北から家に戻る頃には深夜になっていて、雨が降り出していた。



5/21(水)
一日雨。久しぶりに何も予定が無い。石田さんも仕事休みだが、いつも通り娘達を保育園に連れて行ってくれた。最近私が調子が悪いのを気にしてか、朝の送りは極力行ってくれている。私が朝起きると家に誰もいないなんてことはざらになってしまった。家に居てもトイレも使えないし、石田さんも早々に出掛けて行った。私は疲れがたまっていたのか、昼前まで寝てしまう。なかなか起き上がれず、布団で「境界性パーソナリティ障害/岡田尊司」読了。他にも関連書籍を図書館で昨日借りたので流し読みする。

昼、ふと思い立ってガチャの家へ。ガチャは高校からの付き合いで、今ちょうど休職していて平日の昼間も家にいるレアな存在なのだ。
ガチャが2年前に結婚した時、結婚式でガチャのお母さんから「息子はあなたの話をよくするから、あなたのことが好きなんだと思ってましたよ」と言われたことがある。恋愛感情はお互いに無いにしろ、同じ時期に広島から東京に出て来て、私もしんどい時にはガチャに連絡をするし、ガチャもしんどい時には連絡をくれる、そんな仲なのだ。
日記を読んだらしく、お好み焼きを作りながら話をする。「今、何が一番しんどいん?」と聞かれ、しんどいことを口に出すことすらしんどいと伝えた。ガチャは以前仕事でコンサルティングをしていたので、その経験をふまえてアドバイスをしてくれる。現状確認、理想、ギャップ、行動計画。具体的に言葉にして考えることが大事で、そのためには日記に書くことはとても良いと教えてくれた。「このチームで、どういう関係性でいたいかを共有することが大事」とも。ガチャは黙って静かに話を聞いてくれるので、さながらカウンセリングのようになってしまった。私がこれまで付き合ってきた人のことも少しは知っているので、私もいろいろと思い出す。どうしても過去の嫌だったことに目を向けてしまうが、ガチャはいいところに目を向けてみなと教えてくれた。お母さんの話になり、離婚することもお母さんには言わないでおこうと思うと言うと、それはあんまりだから、せめて手紙でも書いたらと言う。
どうして言わないでおこうかと思ったのか、それは妊娠した時を思い出すからだ。石田さんと結婚するには妊娠するしかないと思い妊娠にこぎつけたが、つわりでずっと家にいて、安定期でもないので誰にも言うことが出来ない。石田さんが大阪にライブで出掛けた時、孤独に耐えきれずに、ついお母さんに電話して妊娠したことをあっさり告げてしまったのだった。伝えないのはとても大きな決断だったが、それは脆くも崩れた。お母さんに認めてほしかったし、甘えたかったんだと思う。しかしお母さんは一言、混乱したのか「裏切られたわ」と言って電話を切ったのだった。今は仲良くしてはいるが、あの時のことはよく覚えている。私は裏切ったのだ。それをガチャに話していると、もう涙が止まらなかった。石田さんと付き合う前に付き合っていた年下の男の子のことも思い出した。あっちゃんと言って、まだ大学一年生だった。バイト先で知り合い、あっちゃんの実家にもよく遊びに行った。台湾人のお母さんの作る料理をお母さんとあっちゃんとあっちゃんの弟と4人で囲んだりしたのは本当に良い思い出で、今思い出してもあったかい気分になる。今思えば今まで付き合って来た人の中で、一番安定している人だったかもしれない。しかしその安定が私にはつまらなく思え、別れる直前に距離をとるようになった。そして石田さんと出会い、あっちゃんに別れを電話で告げると、最初は嫌だと抵抗したものの、後で「いっちゃんの決めたことだから僕は応援してるよ」とメールをくれたのだった。あんなに大事にしてもらっていたのに、私はなんて酷いことをしたのだろう、そう思うともう涙が止まらなかった。また心のどこかであっちゃんに対してうしろめたい気持ちがあったからか、久々に思い出した感情だった。あっちゃんたくさん傷つけてごめんなさい。私はやっぱり相変わらずです。

「今いちこのお母さんは何しとるん?」と聞かれ「少年院の慰問とかやっとるらしいよ」と言った。数年前に近所の人に勧められてそういうボランティアに入り、休みの日には少年院に行ったりしていると聞いていた。ハンドベルをやって見せたり、一緒に食事をしたり、文化祭に行ったりするんだそうだ。母も珍しいことを始めたな、と思っていたが、ガチャは「お母さんはお母さんで、自分の育児についてそうやって人の子を見ることで振り返ってるんじゃないのかな」と言った。私は驚いてしまった。母が私に「少年院にいる子を見て、やっぱり家庭環境が大事なんじゃ」と思ったと言われたことがある。それは私に対して家庭環境が大事だからしっかりやれ、と言われているようにプレッシャーを感じた。でもその話をガチャにすると、きっと自分のことを顧みているんだと言うのだった。そうなのだろうか。そうだとしたら、私は少し嬉しいなと思った。

夕方、ガチャの家を出て、電車で一本だったので、そのまま阿佐ヶ谷へ行く。もう時間外ではあったけれど、離婚届で書き方が分からないところがあったので聞こうと思い。しかし守衛さんしかおらず、離婚届を受け取ることは出来るけど、細かいことは分からない。平日の17時までに戸籍課へ問い合わせる方がいいと言われる。また明日にしようと思い、とりあえず阿佐ヶ谷へ来たのでコンコ堂へ寄る。店主の天野さんがいたので、これ書いてほしいんだけど、と離婚届の証人になってもらおうとする。天野さんは見た瞬間「いやだよいやだよ!」と物凄い拒否反応。最近、虐待のルポ本ばかり読んでいると教えてくれた。子どもを餓死させて親が、どんなに酷いものかと思って読んでいると、あまりに普通でビックリしたのだと言う。そして自分も当事者になりかねないから怖いとも。天野さんでもそういう風に思うんだなと思い、少し安心した。

育児が最初からこんなにしんどいものだと知っていたら、私はそこに足を踏み入れただろうか。知らなかったからここまで来てしまった気がする。籍を抜くことで何も変わらないんなら離婚しなくていいじゃん、とまた言われてしまった。引き出しを探して、「今シャチハタしかないわ。また必要なら実印持って来とくから言って」と言ってくれた。優しい。ありがたいが、やはり証人になるなんて荷が重いのかもしれないな。変なものを人に背負わせてしまうのなら、区役所の人なんかはなってくれないんだろうか。むしろもう誰でもいいのだ、本当に。帰りのバスで天野さんの言っていた本についてアマゾンで調べ、レビューを読んでみる。私も虐待についての本は何冊か読んだが、本当に胸が苦しく、暗い気分になる。私に育てられた子がどんな風になるのか、考えるだけで気持ちが落ち込む。前に、育児がしんどいのは当たり前だし、子どもは自分の老後を見てくれるんだから、と人に言われたことがあるが、私は老後を見てもらおうなんてみじんも思っていない。そして同じことを母にも言われたのだ。老後の面倒見てもらおうなんて思ってないけんね、と。



5/22(木)
昼、下の娘の保護者会に参加。先生からの提案で、子どもが言うことを聞かない時にどうしているか、というのを親同士で話し合うことに。一人のお母さんが、ついつい子どもに合わせていると言うことを聞かず、寝る時間が遅くなるのが悩みだという。石田さんちはどうですか?と先生にふられ、うちは20時には消灯して21時には寝てます、というと、驚きの声が上がった。すごい!どうやってるの?と聞かれるが、うまく答えられない。20時になれば有無を言わさず消灯、添い寝もせず、子どもたちだけで寝かせるようにしていたら、勝手に寝てくれるようになったと。寝るまでどうしてるの?と聞かれ、隣の部屋で仕事してます、と言った。皆、腑に落ちてないように思えた。いいなぁという声が上がった。起きてきたら怒って布団に入らせる。こんなの良いやり方な訳がない。分かっているがそれ以外に知らないのだ。私からすれば、他のお母さんのやり方が信じられなかった。
保護者会が終わってから、子どもたちがおやつを食べ終わるのを待っている間、お母さん達は保育園の職員室でお茶を飲んで待つことになっている。1時間ほど、お互いに話をしながら待たなければいけない。私はそれに耐えられないので、その時間を利用して区役所へ行くことに。戸籍課で離婚届の書き方を教えてもらった。やはり証人は二人いるようだ。そして当たり前だが、離婚しても同居するようなら手当は出ない。もちろんお金目的で離婚するわけではないが、より自分のわがままで離婚しようとしているんだと自覚させられ、急激に覚めてきた。私はいったい何をしようとしているのだろう。
帰りにコンコ堂に寄り、昨日天野さんにすすめられていた本「誕生日を知らない女の子 虐待ーその後の子どもたち」を購入。お客さんがほかにいたので、離婚届の話は出来ず、すぐに保育園に戻った。持って来ていた石田さんの新しいアルバムのサンプルも渡すのを忘れた。
夜、ビーサンから一言「情熱が人を狂わせるね」とメールが届いていた。情熱、私に情熱などあるのだろうか。情熱というより執念のような気がした。考えれば考えるほど自分が嫌になる。



5/27(火)
授業。突然、生徒から「先生は旦那さんが先に死んだらどうしようとか考えたりしますか」と聞かれた。その子は同級生で20歳ほど年上の留学生と付き合っている。
「ないこともないけど」と答えて、そこから先が出なかった。はっきり言って今、石田さんがいようといまいと変わらない気がした。うまく答えることが出来なかった。でも、離婚届は出さないような気がしていた。二人の自分がいるなら、出さないでいいと言っている自分が、大きくなりつつあった。予想通りに逡巡している。本当の自分の気持ちはどこにあるのだろう。
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by hatarake-ecd | 2014-06-20 05:29
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